富山マラソン2025

3連休の中日11月2日、今年で10回目を迎えた富山マラソンが開催されました。午前中は小雨、昼過ぎからは本格的な雨というあいにくの天候でしたが、過去最多となる約1万5千人のランナーが参加しました。高岡市役所前を出発し、射水市の新湊大橋を渡り、富山市の富岩運河環水公園を目指して、老若男女が42.195キロに挑みました。

寺崎工業からも5名の社員が参加しました。この日のために、社員がデザインした会社名入りのオリジナルTシャツを制作しました。これを着て社員が走るとなれば、応援しないわけにはいきません。私はコース近くで大きな声援を送りました。

コース上には、風船を頭につけたペースランナーの姿もあり、「3時間半」や「4時間」など、各自の目標タイムに向けてペースを保てるように工夫されていました。ランナーたちの足音が絶え間なく響き、色とりどりのウェアや仮装コスチュームが目を引きました。沿道にいる誰もが応援したくなる雰囲気です。私も拍手をし続け、「頑張れ!」という声も自然に出てきました。中には苦しい表情ながらも「ありがとう!」と笑顔で返してくれる方もおり、こちらのほうが励まされました。一方で、後方には疲労が見える人や足を引きずりながら走る方もおられ、「頑張れ!」と声をかけてよいのか迷う場面もありました。

寺崎工業の社員を探しましたが、私が確認できたのは残念ながら2名のみ。声をかけると彼らは余裕のある走りで笑顔を見せてくれました。「健闘を祈る!」という気持ちで手を振り、最後まで見送りました。

マラソンは、私にとって「持久走」という言葉がぴったりの競技です。自分との戦いであると同時に、見る人にも感動を与える不思議な力があります。

寺崎工業の5名は全員、無事に完走できたようです。本当にご苦労様でした。

今週末に、来年に向けての強化合宿、夜の部があります(笑)。頑張った社員をねぎらいながら、「美酒」を楽しみたいと思います。

地震と酷暑が教えてくれたこと

暑さの厳しかった令和7年の夏もようやく終わり、秋の気配が感じられるようになりました。10月6日、今年初めて柿を収穫しました。仏壇にお供えし、近所の方々にもお裾分けしました。今年は収穫量が少なく、「裏作(うらさく)」の年かもしれません。

能登半島地震から1年10か月が経ちました。被害の大きかった高岡市伏木地区では、建物の解体が進み、街の中に空き地が目立つようになっています。ただし、それらの空き地の多くは土ではなく「砂地」であり、土地利用にも課題が残ります。港町である伏木において、今後人々が再び海岸線近くの地域に戻るかどうかは、大きな問題です。

避難場所にも課題があります。伏木地区の指定避難所は、海岸線近くにある「伏木共同防災センター」です。しかし、地震時にそこへ車で避難するのは、津波の危険を考えると現実的ではありません。実際、今回の地震では多くの住民が山手にある総合病院の駐車場へ避難しました。

旧市街地では、住宅が壁を接するように密集して建てられています。そのため、一軒を解体すると、隣家の壁がむき出しになるケースが多く見られます。本来であれば、それぞれの家が自分の壁を修理するのが原則ですが、解体した側が両隣の壁を修理した事例もあったようです。こうしたケースは法律で明確に解決できないこともあり、今後の課題といえるでしょう。

また、富山市内ではガラス張りでデザイン性の高いビルが地震で被害を受けました。ようやく改修工事が始まりましたが、多額の予算と長い期間を要しています。「災害の少ない県・富山」という神話が崩れた今、このような建物のあり方には再考の余地があります。また、このビルは夏冬の空調費も相当かかっていたと考えられ、ランニングコストの面からも見直しが必要です。

これからは以下のような観点を重視すべきと考えます。

  • 災害に強い構造
  • エネルギー効率の良さ
  • 維持費の少なさ
  • 環境への配慮

鎌倉時代の随筆『徒然草』には「家のつくりやうは、夏を旨とすべし」と書かれています。これは、「冬の寒さ」よりも「夏の暑さ」に備えて家を建てるべきだ、という意味です。現代においても、この考え方は十分に通用します。

  • 風通しの良い構造
  • 湿度対策
  • 直射日光を避ける設計
  • 効率よくエアコンが効く空間

これからの住宅や公共施設には、見た目のデザイン性以上に「機能性」が求められる時代が来ていると感じます。

能登半島地震と令和7年の酷暑。この2つの「災害」は、私たちの暮らしや建物への考え方を大きく変えるきっかけとなりました。 災害に強く、持続可能で快適な暮らしを支える建物や都市設計のあり方を、今こそ真剣に見直す時ではないでしょうか。

おわら風の盆

9月2日、「おわら風の盆」を見に八尾へ行ってきました。300年以上前から伝わるこの祭りは、収穫前の稲が風の被害を避けるために風を鎮め、豊作を祈願する農耕儀礼として定着したそうです。哀愁を帯びた胡弓の音色に合わせて優美な舞が繰り広げられます。踊り手の男女は編み笠を目深にかぶり、顔を隠して舞います。その姿には気品があり、何とも言えない色気が漂っていました。全国にさまざまな盆踊りがありますが、顔を隠して舞うスタイルは珍しいのではないでしょうか。

八尾は「坂のまち」とも呼ばれています。井田川に面した石垣は歴史を感じさせ、また中心部にある石畳の道は「日本の道100選」にも選ばれています。夕暮れ時、灯篭の橙色が照らす石畳の坂、格子戸、白壁。風情豊かな町並みは、まさに日本の原風景そのものです。

「諏訪町」というメイン通りにゲストハウスを持っている方から招待を受け、「町流し」が始まるまで食事をいただきました。祭りの宴席です。初対面の方とも胸襟を開いての懇親の場となり、楽しいひと時を過ごすことができました。

夜も深まった9時過ぎ、ゲストハウスの前で「町流し」が始まりました。道の両脇には大勢の観光客がスマホやカメラを手に、優美な舞を見守っていました。時間が経つのも忘れ、私はその舞にすっかり魅了されました。

特に印象的だったのは、最後尾の集団に子供たちがいたことです。大人たちに囲まれながら一生懸命に舞う姿を見て、私は「風の盆は将来も大丈夫だろう」と感じました。多くの祭りが担い手不足に悩んでいますが、この「風の盆」は町の人々がそれぞれの役割を果たし、祭りを支えています。子供たちも早い段階から祭りに参加し、将来は踊り子や胡弓・三味線の演奏者として、祭りを引き継いでいくことでしょう。その姿に、伝統を守り次世代に繋げる力強さを感じました。

何度見ても、「おわら風の盆」は素晴らしいですね!

今年のお盆

今年の夏は「猛暑」を通り越して、「酷暑」とも言われています。酷暑に加えて豪雨も日本列島を襲い、異常気象が続いています。

お盆休みに入り、久しぶりに映画を観に行きました。それも2日連続で、「TOKYO MER~走る緊急救命室~」と「国宝」の2作品です。「TOKYO MER~」は、火山の噴火から島の住民を救う物語で、医師役を演じる鈴木亮平が活躍します。緊迫感のあるストーリー展開が魅力的で、観ていて引き込まれました。もう1つの話題作「国宝」は、歌舞伎の世界を舞台に家と内弟子の葛藤を描いたヒューマンドラマです。約3時間の大作ということで、その長さが少し不安でしたが、最後まで席を立つことなく、眠気も全く感じませんでした。映像と音楽の美しさ、そして壮大なストーリーと迫真の演技に圧倒されました。「TOKYO MER~」の鈴木亮平、「国宝」の吉沢亮、横浜流星はいずれもNHKの大河ドラマで主役を務めた経験がある俳優です。その役作りには感心し、演技に対する思い入れが感じられました。どちらの映画も、ぜひ観てもらいたいと思います。

さて、今年は約310万人が亡くなった先の大戦からちょうど80年となります。現在では、戦争を体験した人が全体の6%にとどまり、戦争の記憶も薄れつつあります。平和を「空気」のように当たり前だと感じている若い人も多いのではないかと思います。日本は、日清戦争、日露戦争を経て満洲事変、そして太平洋戦争へと戦争の道を進み、1945年8月にポツダム宣言を受け入れ、無条件降伏しました。この戦争終結後、日本は自由主義の理念の下で急速に発展し、戦前と戦後で社会の仕組みが大きく変化しました。特に、愛国心に関する教育が大きな転換を迎えた点は重要だと考えます。戦後の日本は、幸いにも一度も戦火に巻き込まれることなく、平和を享受してきました。このような国は、世界でも稀な存在と言えるでしょう。

しかし、現在の世界情勢を見ると、平和が完全に保障されているわけではありません。中東のガザ地区では依然として悲惨な状況が続き、ウクライナ戦争も長期化しています。また、中国と台湾関係の緊張、さらに中国の海洋進出など、「きな臭い」状況が高まっていると感じます。平和の重要性を訴える声が多い中で、私たちはこの現実を直視し、どのように対応していくべきかを真剣に考えなければならないと思います。

私はお盆の期間中、3か所の慰霊祭に参加してきました。高岡市護国神社奉賛会の会長として、この役職を10年余り務めています。毎年、お盆の時期に行われる慰霊祭は、これまでは屋外の慰霊碑前にテントを張って行われていました。しかし、近年の異常な暑さの影響で、今では公民館のホールで行うケースが増えてきました。また今年初めて、長年祭事を行っていたある地域の遺族会が解散しました。そのため、その地域では慰霊祭が行われないことになりました。地域の遺族会の会員は高齢化が進み、会員数も減少しています。また、役割を引き受ける人が見つからないという問題もあります。私たち高岡市護国神社奉賛会の会員数も減少しており、今後、地域の慰霊祭や忠魂碑の維持が難しくなっていくでしょう。戦後80年が経過し、会員の減少は避けられない現実だと思います。しかし、国を思い亡くなられた御霊をお守りすることは重要です。もし遺族会が活動を継続できなくなった場合は、地域の自治会などがその役割を引き継いでほしいと考えています。

もともと、護国神社は「1県1護国神社」が一般的ですが、富山県には富山市に「富山県護国神社」、高岡市に「高岡市護国神社」があります。私は、富山県が「戦没者への思い」の強い県だと感じています。しかし、神社の維持管理には多大な費用と労力がかかります。昨年、本殿を風雨から守るための「おおい(覆い)」を取り付けました。また、地震で倒れた玉垣の修理も行いました。さらに、何年か後には屋根の銅板の葺き替えが必要となります。 現在、各自治会から補助金をいただき、その管理費として活用していますが、それでも維持には多額の資金が必要です。加えて、祭事の準備には相当な労力がかかります。このように、現在の維持管理は厳しい状況にありますが、将来を見据え、今できるベストなことを行っていきます。そして、次の世代にしっかりと護国神社を引き継いでいきたいと考えています。

長岡花火

8月2日土曜日、新潟県長岡市で開催された「長岡まつり大花火大会」に寺崎工業互親会(協力会)の方々と総勢24名で行ってきました。

互親会では年に一度、会員の親睦と研修を兼ねて旅行を計画・実行しています。昨年は航空自衛隊小松基地の航空祭に行ってきました。今年は春先からこの花火大会の見学を企画し、旅行代理店との打ち合わせを重ねてきました。行程は?バスは?観覧席は?昼食&夕食は?持ち物は?等々、ベストを目指して計画を組み立てました。

考え抜いた結果、花火大会の弾丸ツアーに。トイレ付きの大型バス、高速インター側のエリアで駐車場に近いイス席(「島」の最前列)、昼食(焼肉弁当)は出発時にバス積み込み、夕食(幕の内弁当)は花火会場の駐車場で受け取り、食事後に観覧席へ移動、渋滞と混雑が予想されるためアルコールや飲料水はできるだけ出発時に持っていく、そのためのクーラーボックスの用意など、いろんな知恵を絞って当日を迎えました。

当日はお昼の12時に出発。15時過ぎには長岡に着きましたが、お土産購入と時間調整を予定していた「道の駅」には満車で立ち寄れず。16時過ぎには花火会場の駐車場にバスを入れ、そこで18時半ごろまで待機することになりました。外は猛暑の中、エアコンの効いたバスの中での待機となりホッとしました。

19時20分開始。花火の大きさ・色・鮮やかさ・曲に合わせての打ち上げなど、信濃川の広大な河川敷だからこそ出来る大会だと感じました。直径650mの「正三尺玉」、打ち上げ幅2kmの「フェニックス」、圧巻でした。また、花火には表も裏もないと言いますが、どうでしょう。真上で開く大輪の花を、我々はポカンと口を開けて見入っていました。

21時10分終了まで、時間を忘れて約2万発の花火に酔うことが出来ました。しばらくの空白時間のあと暗闇の中、明かりを付けたスマホで花火師とのエールの交換、河川敷一面に光の輝きが現れて会場が一体となりました。

花火会場の駐車場から24時頃には出られたでしょうか、高岡には日曜日の午前3時頃に無事到着し、それぞれ家路につきました。高速道路のサービスエリアは深夜にもかかわらず営業を続けており、商魂のたくましさを感じました。

花火は「一瞬の芸術」であり、あざやかさとむなしさを感じます。消えかかる光に何とも言えない哀愁を感じます。そして日本人に生まれてよかったと感じます。

いや、今日4日は地元、庄川の花火大会。うちわ片手に缶ビールを吞みながら、家の屋上から見るか。「蚊」来るなぁ~

朝顔

朝顔が一輪、咲きました。

本社の正面玄関横、来客用駐車場側に毎年「朝顔」を植えています。そして今朝、青い朝顔が一輪咲きました。

私は朝顔が好きです。特に青色の花が大好きです。質素ながらも、朝になると満開の顔を見せてくれます。そして葉とつるの若々しい緑色、ふたつの色合いが涼しさを誘います。今年もそんな季節が来ました。

今年はいつもより開花が早いのかもしれません。これから一面に咲いて、来社されたお客様に楽しんでいただけるものと思います。

毎年のことですが、私たちの目を楽しませてくれた季節が終わると、種取り、枝の片付けを年末までに終え、春の連休に新しい土を足して再生させます。何代にも渡る種を使っていますが、最近は新しい種も入れるようにしています。

社員も連休明けの「種まき」や毎朝の「水やり」などのお世話をしてくれます。休みの日にも水をやりに来てくれていると聞きました。

みんなの協力があってこそ、長く続いている寺崎工業の「夏の癒し」です。

慰安旅行

二班に分かれて慰安旅行へ行ってきました。目的は「親睦」。行先については、まず皆が楽しめる所、そして皆があまり行っていない所にしようと思い、選んだのが広島県です。二泊三日で「尾道」「呉」「広島」とバスで巡る旅を考えました。また宿泊先は宴会後に二次会へ行きやすい立地のホテルを選びました。時期は暑くなる前に行きたいと6月の中旬と下旬に分けましたが、一班は梅雨真っ只中、二班は一転して真夏日の旅行となりました。

昨年は宇奈月温泉と長野の善光寺参り、このブログにも書きましたが大いに盛り上がりました。今回も出発日の朝、新高岡駅から北陸新幹線に乗車したところから盛り上がり、中にはビール6缶入りの保冷バッグを肌身離さず持ち歩く社員もいて、笑いの渦に包まれました。敦賀駅と新大阪駅で乗り換え、何とか誰も欠けることなく山陽新幹線の福山駅で降りることができました。「坂の町」尾道で山頂からの瀬戸内を展望し、牡蠣料理の昼食。北陸で牡蠣といえば冬の食材ですが、美味しくいただきました。呉に移動して大和ミュージアム(サテライト)・てつのくじら館を見学、旧呉鎮守府であり海上自衛隊の呉地方総監部所在地としての「歴史の重み」を感じました。残念ながら私は宴会後早々に自沈し、就寝訓練に移りました。(笑)

翌日は呉軍港のクルージング、空母に改修された「かが」や潜水艦5隻が泊まっている桟橋など、満席の観光船の屋上デッキから間近に見ることができました。昼食は江田島のリゾートでのBBQ、遠くに瀬戸内を行き交う船を見ながらの肉と海鮮と野菜とアルコールで満腹。そして夕食の懐石コースも「これでもかー」というほどのボリュームで、皆満足顔から体重心配顔になったのではないかと思います。それでも二次会で「広島焼き」を食べに行った社員もいたと聞きました。

翌早朝、私はホテルから原爆ドーム近辺を散歩しましたが、社員の中には10キロのランニングをしたというツワモノも。最終日は宮島口から10分の連絡船に乗り世界遺産の厳島神社・門前町を散策、灼熱の太陽の下で体重が戻ることを祈念し、ご利益のある参拝ができました。帰りは広島駅から山陽新幹線に乗車して、行きと逆の経路で。見学場所も食事内容も大変充実した慰安旅行になりました。

私は「同甘同苦」という言葉が好きです。「皆で助け合い苦難を乗り越え、美味しいものを食べる時も皆で一緒に」そういう会社でありたいと考えています。ただ3日間で3キロも体重が増えてしまいました!元に戻すのが大変です・・・。

「遺影」

先日、わが社の元役員が亡くなり、その葬儀に参列してきました。昭和23年に高校を卒業後すぐに寺崎工業へ「会計係」として入社、最終的には「専務取締役」としてわが社をリードしていただきました。約50年間にわたって勤務され平成9年に68歳で退職、そして今年、令和7年に96歳でその生涯を終えられました。寺崎工業一筋、経理・総務畑において組織の土台を支えていただきました。一度決めたら曲げるのが大っ嫌いという性格で、会社ではうるさい存在(良い意味で)ではなかったかと思います。

当日、祭壇に飾られた「遺影」を見ますと、わが社におられた頃の写真が使われていました。そして何とスーツの襟元には寺崎工業の「社章」が付いていました。帰り際、喪主に「在籍されていた時の写真ですね」と言ったところ「父は寺崎工業にいたことを誇りとしていました。この写真が一番父らしい写真だと思います」との返事をいただきました。嬉しく思い「ありがたいです」と返しました。

「遺影」に使う写真は、そこそこの歳になった時の写真を使うのが一般的だと思いますが、現役で一番輝いていたときの写真を使う。あの元役員らしいなと改めて思い、小さく笑みがこぼれました。新卒から約50年間わが社一筋で働き、そして社章の付けた写真を「遺影」にしてくれる。こちらが感謝です。一人でも多くそんな思いをもった仲間をつくっていければいいと考えました。

「同期」

北海道の同期から「ゴルフに来ないか?」と誘いがあり、間を置くよりも早々に応えようと雪解けの4月に行ってきました。当日は羽田経由で午前中に新千歳空港へ到着、迎えに来てもらってゴルフ場へ直行、おにぎりを食べて18ホールを廻りました。翌日もコンビニでおにぎりを買い、それを朝食と昼食にあててプレーしました。晴天の中2日間、ゴルフを楽しみました。北海道での4月のゴルフは初めてであり、本州との違いを感じました。北海道のゴルフ場の本格的な営業は一般的に5月からということで、4月中はシーズンオフとのことです。お風呂には入れず、レストランも営業していない状況でしたが、料金はそれぞれ6千円台、8千円台とお手頃でした。今回は札幌にいる同期2人と、帯広にいる同期が北広島のゴルフ場まで2時間余りかけて、2日間付き合ってくれました。ありがたい限りです。

今シーズン初のゴルフ。楽しみと不安が入り混じる中、4人でコースを廻りました。お互いに名前は呼び捨て。美少年で筋肉隆々だったのが今や太鼓腹、髪も真っ白になり、薄くなり、顔のシワが目立ち・・・。後半はクラブを振った後にふらついてしまうだらしなさ。笑いがあふれました。気合いを入れても体力はついていかず、気持ちだけは16歳に戻ってのゴルフでした。同期の消息や学校の思い出など話が尽きることはありませんでした。そして「ゴルフ、何歳までできるかなぁ」「75歳ぐらいまでかなぁ」という会話。あと5年。16歳で出会い今70歳になろうとしている同期、あと何回会えるかという思いと、今この瞬間を楽しまなくてはという思いが交差する時間でした。

2日目の夜、札幌在住の別の同期も宴会に加わり、場を盛り上げてくれました。その時、私と親しくしていて卒業以来会ったことのない同期の話になりました。彼は陸上航空(陸上自衛隊の航空科)のパイロットをしていて、ほとんど北海道内での勤務と聞いていました。その彼が「余命宣告」を受けたとの話になり、急激に酔いが冷めていきました。その場から、何回か教えてもらっていた彼の携帯に電話しましたが、繋がりませんでした。富山に帰る翌朝も電話しましたが繋がらず、ショートメールで「元気ですか。話は聞いた、よかったら電話ください。」と入れたところ、新千歳空港に着いた頃に、彼からメールが入りました。「明日から入院、もう家にも帰れないかも。元気なうちに会いたかった、さようなら。」私は読むか読まないかのうちに電話をかけました。出てくれ!何回かのコールの後、50年ぶりの声が!「元気なうちに会いたかった」と言われた途端、涙があふれました。お互い嗚咽になりましたが「元気になって会おう、最後まであきらめるな」という言葉を何とか絞り出しました。しばらくは放心状態でした。

富山に帰ってから何回かメールを送っていますが、彼からの返信はありません。しかし、送り続けます。「同期」だからです。

2025入社式 社長挨拶

この春、我が社に1名の新入社員が仲間入りしました。

入社おめでとうございます。いま緊張の中にいると思いますが、ここにいるみんなが歩んできた道です。あせることなく、ゆっくりと一歩ずつ歩んでください。今日は入社に際して、意識してほしい3つのことをお伝えします。

まずは「挨拶をする」いうことです。挨拶はコミュニケーションの基本です。朝の「おはようございます」から始まり、「お疲れ様です」、「お先に失礼します」まで、相手に身体を向けて目を見て、しっかりと挨拶してください。会社では人生の先輩がいろんなことを教えてくれます。挨拶から始まり、教えを聞き、そして質問をしてください。聞いて理解しているからこそ、質問ができるのです。質問することで相手もこちらを信頼してくれます。「わからなければ聞く」ということを習慣にしてもらいたいと思います。それと小さなノートを持ちメモを取る習慣を身に付けてください。社会では積極的に情報を取る姿勢が求められます。大げさかもしれませんが、学校では教室で座っていれば先生がいろんな情報を与えてくれた、いわば「受け身の教育」でした。これと違い、社会ではまず「自ら情報を取りにいく」ことが求められます。ジッとしていては情報をもらえません。これから出会う人生の先輩に、いろんなことをどんどん聞いて、多くの知識を蓄えてもらいたいと思います。そのためには挨拶から始まり、コミュニケーションの幅を広げ、積極的に情報を取ることを心がけてください。

2つ目は「安全への意識」です。学校では「安全」ということについてあまり考えてこなかったかもしれません。社会では「安全はすべてに優先」します。「工事の安全」は大事な要素です。重大事故が発生すると官庁工事では指名停止になり、受注の機会を失います。民間工事でもお客さんに多大な迷惑をかけ信用を落とします。事故はあってはいけないことです。現場は一日一日、完成に向かって変化していきます。昨日と同じだと勝手に判断して行動していると、事故に結びつきます。現場では毎朝、作業の打ち合わせをします。どんな工種の業者が入り、工事の作業内容は何なのか、そしてどこに危険が隠れているのか、最初のうちは先輩の指導に従って行動し、安全への意識を高めてください。そして徐々に知識を蓄えることで、安全に対する「勘」を磨いてほしいと思います。

3つ目ですが、「会社には無駄な仕事はない」ということです。コピー取りなど単純な仕事もあると思いますが、それにも意味があります。どこを中心にコピーするのか、相手が欲しているものは何なのか、いろいろと考えることがあります。また、現場においては「清掃」という作業も多々出てきます。この作業を無駄だとは決して思わないでください。清掃は安全に直結しますし、作業効率を高めることにもなります。品質管理や工程管理につながりますし、清掃しながら現場を理解することにもなります。私の経験から、清掃が行き届いている現場は、事故がなく利益も出る現場だといえます。またお客さんの評価も上がります。学校では教室で「知識」を学びました。これを社会では「知恵」に変えていかねばなりません。そのためには「知識」+「経験」が大事になってきます。現場での作業や人との交流を通じて、今持っている「基本の知識」を「生きた知恵」に変えてもらいたいと思います。

あせらずに、一歩一歩を確実に歩んで、成長してください。期待しています。ここにいる全員が歓迎するとともに、心から応援をしています。