卒園式

昨日、春らしい陽気の中、関連法人の保育園の卒園式が行われました。

卒園児のご両親はスーツ姿や洒落た服装で出席されていました。奥さんはスマホを持って前のほうへ着席、旦那さんは後ろで立ったままビデオ撮影、近頃の卒園式ならではの光景です。そういう私も後ろで三脚を立てて撮影していた一人でした。

「卒園児入場」、卒園児たちが大人びたネクタイ姿やスカート姿で、自慢げに満面の笑みを浮かべての入場です。「卒園証書授与」、園長先生から証書をもらい、それを親に預けるわずかなタイミングで見せる親子の微笑みが幸せを感じさせてくれます。

そして式の最後に、卒園児が「お別れの言葉」として歌で一年の思い出を紹介するのですが、あれだけの長い内容・歌詞を、よく覚えられるものだと感心しました。一人ひとりに慈愛のこもった目配りをしながら指揮する担任の保育士さん、そしてそれに応えようとする卒園児、観ている私は胸がいっぱいになり、熱いものがこみ上げてきました。歌詞も「みんな他人とは違う自分の色を持っている。それが集まると素敵な色になり、鮮やかに光る。みんな違う色でいい、知らない色を探しに行こう。」という内容だったと思います。この歌詞の意味を卒園児さんはしっかり理解しているなと私は感じました。これからも自分の個性を大切にし、周りの友達の個性も尊重し合って、共に成長してもらいたいと考えます。

ふと思い出したことがあります。何年か前の運動会で年長児による騎馬戦があり、親が参加できないとのことで急きょ、私が「馬」になったことがありました。帽子を取ったか取られたかは覚えていませんが、その後、私が園内を歩いていると、騎手役だった子が教室から走って私の前に出てきました。満面の笑みでした。「元気にしてるか?」と言うとニコッとうなずいてくれました。大切な思い出を創れたと感じ、嬉しく思いました。

「三つ子の魂百まで」、保育園での出会いは子供たちにとって親以外の人と会う初めての場、一生の中でも大切な場であることを改めて感じました。

”蔦重”

先日、NHKの「英雄たちの選択 スペシャル 大江戸エンタメ革命」という番組を観ました。今年の大河ドラマ「べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜」の“蔦重(つたじゅう)”こと「蔦屋重三郎」を時代背景とともに取り上げていました。

時代は18世紀の江戸、老中は田沼意次。江戸の町民文化が花開き、脂の乗った時代、蔦重は文化の発信地「吉原」を舞台に遊郭の「ガイドブック」を刊行して話題を呼び、版元、編集者として江戸文化を大いに盛り上げました。ところがその後、松平定信の時代になると「寛政の改革」のもと質素倹約が奨励され、江戸文化の魅力を規制する動きが強まり、蔦重は窮地に陥ります。そんな厳しい規制の中で見つけたのは、歌麿らが描く「美人画」。花魁(おいらん)や茶屋の町娘を「ブロマイド」として描いたもので再起を図ります。幕府はそれでも版元である蔦重に圧力をかけます。それに対し苦渋の選択で、蔦重は版元の名や絵師の名も消した木版画を世に出しました。

寛政の改革は5年間続き、松平定信の老中辞任で幕を降ろします。そのあと蔦重が目を付けたのは、芝居小屋の「役者絵」。写楽らが描く今までの美人画とは違う写実的な、いわば不細工な浮世絵を出しましたが、役者の欠点的な特徴までもが強調される作風が不評のまま、蔦重は寛政9年に48歳で生涯を終えました。

しかし、その蔦重の版元からは次の時代を彩った版元がいくつも誕生します。また後世、写実的で不細工な絵はヨーロッパの地で評価が高まります。蔦重には時代の先が見えていたのでしょう。その時代、お上の規制を巧みに乗り越え、職人たちの生活を守り、華やかな江戸文化の立役者となったのが“蔦重”こと「蔦屋重三郎」でした。

私は以前から、NHKの大河ドラマは現代を反映している番組だと思っています。今の世は、令和の脂が乗った時代だと思います。飽食の時代である一方、海外の影響や我が国の政権で我々の生活が変わる時代、その中でいかに知恵を使い生き残れるか、蔦重の時代と似ていると感じます。

また、蔦重はすべて「紙」で文化を伝えました。永い間、文化は紙で伝えられ「紙は文化のバロメーター」と言われてきました。しかし今ではペーパーレスの時代となり、その言葉も危うくなりつつあります。現に新聞や書籍の発行部数は減るばかりです。デジタルやディスプレイ上でしか表現できない文化、それが次の時代に残せるのか、疑問に思います。

私はインターネットで読む文字は「見る」と表現します。新聞や書籍では、それこそ「読む」です。「見る」と「読む」では大きな違いです。私は紙文化の「復興」ではなく、紙文化の「繁栄」を祈念したいと思います。

追伸 2024年の新聞用紙の生産量は5年前に比べると約4割も減少しています。ある知り合いの紙屋さんは「このままでいいのか!」と嘆き、紙文化が伝承されることを心から願っておられました。