復興支援と災害対策

先日の連休に「道の駅 氷見」へ行ってきました。能登半島地震による断水や液状化の被害がありましたが、現在は全店舗が営業しています。復興支援のイベントも行われており、多くの県外ナンバーも見かけました。家族連れや観光客が行き交い、活気にあふれていました。

昨日のニュースで、日本赤十字社が被災地での医療救護活動を終了すると報道されていました。今では支援活動も、避難所から仮設住宅や被害を受けた住宅への対応に移っています。富山県建設業協会も各支部で班をつくり、被災地へ赴いて復旧活動を行っていましたが、今後は本格的な復旧工事(土木工事や解体工事)が求められてくるものと思われます。

弊社も地震直後は炊き出しの食料などを被災地に送り、その後もグループ各社で義援金やふるさと納税などの支援をしています。また得意先の建物についても、被害調査から復旧工事に向けて動いているところです。日々刻々と支援の在り方が変わってきていると感じます。

県内を見ると、被害が大きかったのは地盤が弱いところのようでした。改めて「地盤の良いところ」が求められると思います。土地を買うときは切土なのか盛土なのか、かつては沼だったのか池だったのか、その土地の長老に聞いてから行動に移せといいます。地盤のしっかりした場所選び、地盤改良工事の必要性の有無、耐震を考えた設計など、今まで以上に考えていく必要があります。

弊社も今回の地震を踏まえ、改めて緊急災害時の対策を考えていきます。まず「安否確認」システムをグループ各社に導入します。大地震などの災害発生後、社員に一斉発信し安否の確認をします。そして、富山と高岡に災害時の拠点をつくります。とりあえず携帯用の「水タンク」と段ボール製の「簡易トイレ」を100個ずつ、それぞれの拠点に用意しました。これからも緊急時に役立つ防災用品を充実させていきます。

もう少し先になると思いますが、能登の観光地を巡り、和倉温泉に宿泊し、復興支援に少しでも協力できればと考えています。近い将来に会社の慰安旅行で、和倉の湯と復興の美酒を楽しめる日が来ることを信じています。

能登半島地震に思うこと

令和6年1月1日16時10分、能登半島地震が起きました。最大震度7の大地震は、私の大好きな風光明媚の地を一変させました。輪島の朝市通りは、千枚田は、時国家は、皆月海岸は、和倉温泉は・・・。ニュースで変わり果てた景色を見て、やり場のない思いに駆られています。

被災した社員や関係者には会社所有のアパートへの入居を勧め、地域にはグループ会社で義援金や物資を提供する段取りをしました。和倉の知人にも早々にお見舞いしたいと考えていますが、何をすれば良いのか、はやる心と先方の「気持ちだけで嬉しい」という言葉に翻弄される日々を送っています。

先日、会合の挨拶で「新年おめでとうございます」と言っている方がおられましたが、今年は新年の挨拶に「おめでとう」は使えないと個人的に思っています。地震から1カ月が経ち、少しずつ復旧に向けた動きが進んでいます。「能登は必ず立ち直る」。復活を心から信じています。

富山には「立山が屏風のように富山を守ってくれているから自然災害が少ない」という神話があります。私もそう思い込んでいました。しかし今回の地震は、富山県内でも震度5強を観測しました。自然災害に対する取り組みを、改めて考える時が来たと感じています。

地震当日の話ですが、高岡は港町伏木が大きな被害を受けました。伏木在住のグループ会社社員は、山手にある総合病院の駐車場に避難しましたが、夜になってホテルを探すことにしたそうです。高岡市内にある数軒のホテルに電話しましたが、すべて断られてしまいました。エレベーターの停止や客室の物品の倒壊が主な理由(あとから知った)でしたが、射水市(旧小杉町)のホテルは受け入れてくれました。そのホテルもエレベーターは止まり、多少の被害もありましたが、暖房が効き入浴もできました。そして「夜食にどうぞ」とお寿司まで用意してあり、温かい思いやりに感動したそうです。後日エレベーターは復旧しましたが、ある程度の揺れが収まるまで、結局5泊しました。フロントに宿泊料を払おうとしたら、何と「宿泊料はいりません」と言われたそうです。大手チェーンのホテルですが、そのホテルの従業員たちで決め、本部からの指示ではなかったとのことでした。

なかなかできることではありません。素晴らしい決断と柔軟な対応に、心より敬意を表します。この話を聞いて、私はその系列のホテルをぜひ利用したい、人にも勧めたいと思った次第です。

新年を迎えて

新年の挨拶は「おめでとうございます」から始まるのが一般的ですが、今年は「おめでとう」とは言えない状況です。元日の夕刻に最大震度7の能登半島地震が発生、2日には羽田空港で飛行機の衝突事故が起き「今年はどんな年になるのだろう?」と思われた方も多いのではないでしょうか。例年にも増して用心が必要だと感じます。今回の地震で当社の社員および関係者に怪我等の報告がなかったことは不幸中の幸いでしたが、テレビや新聞等では時間とともに悲惨な被害状況が明らかになり、亡くなられた方も増えています。能登の方々の大変さが、近いからこそ、ひしひしと伝わってきます。地震の少ない富山県においても、氷見や伏木などで大きな被害がありました。改めて被災された方々に心よりお見舞い申し上げます。

私も元日の地震からその対応と後片付けに追われ、お正月モードは一掃されました。そんな中、嬉しかったことがあります。3日の朝、得意先から私の携帯電話に連絡があり「元日の地震で展示場の大きなガラスが割れ、寺崎工業に緊急の対応をお願いしたところ、翌日早々に来られてガラスを撤去した後シートを張っていただいた。迅速で丁寧な対応、ありがとうございました。」と感謝の言葉をいただきました。

ほかにも地震発生後、得意先や事務所を見回ってくれた社員、現場パトロールに出てくれた社員、関連の介護施設ケアホームみどりの被害復旧を手伝ってくれた社員たちの自発的な行動には本当に感謝しています。今もなお余震が続いていますが、今回の能登半島地震の対応で得た教訓を、会社でも家庭でもしっかりと活かしていかなければならないと考えます。

さて、昨年は建設資材の高騰で一時的に建設投資は減退したように感じましたが、コロナ明けでの建設需要の拡大が少しずつ感じられるようになりました。我々の仕事はフェイスtoフェイスの対応が求められます。私は「情報は動いた量に比例する」と考えています。今年、営業は設計事務所や得意先への訪問を増やし、現場においても得意先をはじめ協力会社の方々との接触を増やしていきたいと思います。寺崎工業の姿勢を語り、多くの「寺崎工業ファン」をつくりたいです。

今年も建設資材の値上げが予想され、資材不足や納期遅れも心配されます。また大阪万博の建設が最盛期を迎えます。そして今回の能登半島地震、建設業界にどのような影響を及ぼすのか、いろいろと情報を集めながらしっかりと対応していきたいと思っています。

「一番強いもの、一番賢いものが生き残るのではなく、機敏に変化できたものこそ生き残る」ダーウィンの進化論の言葉ですが、今年101年を迎えた当社も「変化」してきたからこそ生き残ってきたといえます。これからも昨日より今日、今日より明日、日々会社を進化させていきます。機敏に変化できるのが中小企業の良さだと考えます。

「いい年とは、会社の利益を皆さんに還元でき、皆さんとその家族が元気に過ごせる年」といつも私は社員に言っています。全社員で努力していい年にしたいと思います。

狸おやじ

大河ドラマ「どうする家康」も佳境を迎えています。小国・三河で生まれ、大国の織田家・今川家のもとで人質として過ごしたのち、熾烈な戦国時代の中、いろいろと迷いながらも決断を下し、家臣団とともに成長していく家康の姿に共感しながら観ています。悩みと不安の人質時代、信長との連合軍の時代、秀吉の安土桃山時代、補佐役から天下統一までの時代。純粋な若者から一癖も二癖もある「狸おやじ」へと変わっていく家康役の松本潤さん、話し方や仕草まで上手く表現できており感心しています。最近の放送では天下人としてのおおらかさとわがままさも感じさせる内容になっています。12月の終わりをどのように迎えるのか楽しみです。

戦国乱世の時代、利害や宗教に翻弄されながらも小さな家臣団をまとめ、周りの武将を味方にしていく姿は、現在の会社という組織をまとめ、周りに自社のファンをつくることに通じるものがたくさんあると思います。その一つに相手の顔を見て話をすることの大切さがあると考えます。また私は褒める時は大勢の前で、指導する時は一対一でということも常に心掛けています。

そして「狸おやじ」。さまざまな経験を積むことで得た知恵を生かし、状況に応じて柔軟に事を進める。時には一歩引いて状況を見つめ、冷静に判断する。発する言葉には重みがあり将来を見通す力もあり、会う人たちを委縮させたものと思います。その一方で優しさも兼ね備えていたことでしょう。

私はそんな「狸おやじ」に憧れます。私の性格からすると、思い立ったらすぐに「自ら動く」ことが多いのですが、最近は一歩立ち止まって冷静に考えてみることも必要だと思っています。まだまだ修行が足りません。

一冊の本

創業者、祖父治作の出生地にある射水市立大島小学校で創立150周年式典が行われ、来賓の一人として参列してきました。今から120年ほど前の話ですが、少年時代の治作はこの小学校の校務員だった父の手伝いをすることがよくありました。そんなある日、治作は図書室で一冊の本と出会います。それは当時の日本ではまだ珍しかったコンクリート建築について書かれたもので、治作はこの本をきっかけにコンクリート建築に興味を持ち、夜の海を照らす灯台の建設技術者となりました。その後、樺太の地で当社の前身「寺﨑組」を創業、そして「寺崎工業」は今年創業100周年を迎えました。

一冊の本が人生を変えました。戦後、治作はそのご縁に感謝して大島小学校に本を毎月寄贈し続けました。そして二代目の父敏夫もその大切な思いを受け継ぎ、本を贈り続けました。治作は母「梅野きよ」の名義で本を寄贈していたため、小学校では「寺崎文庫」ではなく、今でも「梅野文庫」として扱われています。親孝行の心、故郷への感謝、寄贈の継続、どれをとってもなかなか真似できるものではありません。

昨年、一区切りを付けるための寄付をさせていただき、本と図書室の整備充実に充ててもらいました。そして今回、図書室と寄贈した本を見せてもらいました。本には「梅野文庫」のシールが貼られており、大切に管理されていました。いくつになっても図書室は魅力的なところです。私でも読みたい本がたくさんありました。子供たちもいろんな本に興味を持ってくれたら嬉しいです。図書室の入口には、この「梅野文庫」の由来について掲示してありました。一冊の本には人生を変える力があること、そして寺崎グループのことも書いてありました。三代目の私のインタビューと写真もその中にありました。無口で怖かった祖父の違う一面、優しい温かさを感じました。私は有り難さと責任の重さをひしひしと感じた次第です。

組織は時代と共に変わるべき

先日、母校の同期会が横須賀で開催されました。陸上自衛隊「少年工科学校」。現在は「高等工科学校」に名称変更していますが、別名「自衛隊生徒」。私の原点がここにあります。52年前の昭和46年に中学卒業後、17期生として入隊と入校、今は存在しない階級「3等陸士」としてスタートしました。当時は4年制で入校500名に対して卒業したのは400名余り、決して楽な学校ではありません。しかし、この4年間で経験したことは一生の宝です。今回は全国から、髪の毛が薄くなったり白くなったりした、ぽっこりお腹の約100名の同期が集まって呑み、語り、校歌を歌いました。翌日には学校見学もしてきました。

10年ほど前、幹部自衛官になった同期と呑んでいる時に「優秀な人材を輩出しているのに何で学校名を変えるのか。」と文句を言ったことがあります。それに対し同期はさらりと答えました。「組織は時代と共に変わるべき、国を守る組織だからこそ変化していかねばならない。」私はこの言葉を聞いて、酒の酔いが冷めていったことを覚えています。

高等工科学校はまた大きく変わろうとしています。現在1学年320名余りの生徒数を増員して、卒業後は陸上自衛隊のほか海上・航空自衛隊にも進むことになり、男女共学にもなります。はつらつとした高等工科学校の卒業生を欲しいのは陸・海・空とも同じだと思います。しかし同じ自衛官でも私は気質の違いを感じます。男女共学についても賛否両論ありますが、「国を守る」ためには陸上自衛隊だけのことを考えていてもダメなのかもしれません。「組織は時代と共に変わるべき」。卒業生が連携し、陸・海・空の部隊を支える自衛官として新しい「自衛隊生徒」制度を作ってもらいたいと思います。

会社も「日々新た」。昨日から今日、今日から明日へと変化していかねばなりません。同じ仕事の繰り返しでは進化はありません。「昔からこの方法でやっているから」というのではなく、変化を恐れずに進化し続けていきたいと考えます。

話は戻って、母校のことで心配なのは校歌の中の「我等は少年自衛隊」という歌詞、共学になったらどうなるのやら?

チャットGPT

昨晩、取引銀行の親睦会が主催する講演会がありました。テーマは「チャットGPTについて」。

日本語では「膨大な学習データをもとに自然な応答を生成する変換器」とでもいえばいいのでしょうか、こちらの質問に対して滑らかな説明が出てくるのには感心しました。機械学習に基づいているため正確性には欠けますが、手直しをすれば文章作成が簡単にできる大変便利なツールだと思います。一方で困るのは学校の先生方で、簡単な操作で作文や論文ができるので、生徒の思考力の低下が懸念されるという話もありました。生徒の個性や能力を無視した画一的な文章が出回るのも残念なことです。

昨日は朝から東京・北海道・富山・高岡を結んだWeb会議、そして講演会後の懇親会の居酒屋ではQRコードを使ったドリンク注文と、IT化の波の中にいました。便利とはいえ、そこに店員さんがいるのに何で?という思いもありました。

我々の商売では「フェイスtoフェイス」の関係が必要でないかと考えます。当社では毎朝8時30分に部長以上が集まって打ち合わせをします。特に話題がなければ2、3分ほどで終わりますが、普段からコミュニケーションを取って情報を共有しています。

時代はITやAIで効率化が進んでいますが、そんな時代だからこそ、人と人とのつながりを大切にしていきたいと考えています。今年、久しぶりに慰安旅行を実施しましたが、みんなの楽しそうな笑顔を見て、仲間とのつながりの大切さをしみじみと感じました。来年も見てみたい光景です。

第80期を終えて

9月末で当社の第80期が終わります。

今期は寺崎グループ創業100周年ということで、例年よりも気ぜわしい期でした。しかし7月2日の記念行事は、どこに行っても「良かった」とお褒めの言葉を頂いています。昨年から始めた準備も積んだり崩したり、同じ話を繰り返したり、なかなか前に進まなかったことを覚えています。中には企画運営を外部に出したらどうかという声もありましたが、寺崎工業社員を中心に企画・準備から当日の運営まで行いました。まさに「手づくり」の記念行事(記念式典・立川志の輔師匠による独演会・グループ社員の懇親会)でした。私は冷や汗の連続でしたが、社員の皆さんのおかげで素晴らしい100周年記念行事になったと確信しています。懇親会の最後、創業者寺﨑治作と2代目寺﨑敏夫の遺影の前に、鏡開きの枡酒が置いてあるのに気づきました。こんな配慮をしてくれる社員がいることに胸が熱くなりました。これからもこのグループのために精一杯頑張るつもりです。

さて、この第80期の売上は目標を若干下回ったものの、粗利は目標以上の数字を確保できそうです。期末賞与も出せる状況になりました。全員の努力が成し得た結果です。私は社員の皆さんとは「仲間」だと思っています。その仲間とは「同甘同苦」だと思っています。苦しい時はみんなで助け合って苦難を乗り越え、そして美味いものを食べるときはみんなで食べる、この気持ちでいます。今回、4年ぶりの慰安旅行を行いました。行けなかった方には申し訳ありませんが、2泊3日の九州を楽しんできました。そして多くの笑顔も見ました。これも同甘同苦です。

10月から始まる第81期もいい期にしたいと思います。「同甘同苦」で頑張ります。

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