狸おやじ

大河ドラマ「どうする家康」も佳境を迎えています。小国・三河で生まれ、大国の織田家・今川家のもとで人質として過ごしたのち、熾烈な戦国時代の中、いろいろと迷いながらも決断を下し、家臣団とともに成長していく家康の姿に共感しながら観ています。悩みと不安の人質時代、信長との連合軍の時代、秀吉の安土桃山時代、補佐役から天下統一までの時代。純粋な若者から一癖も二癖もある「狸おやじ」へと変わっていく家康役の松本潤さん、話し方や仕草まで上手く表現できており感心しています。最近の放送では天下人としてのおおらかさとわがままさも感じさせる内容になっています。12月の終わりをどのように迎えるのか楽しみです。

戦国乱世の時代、利害や宗教に翻弄されながらも小さな家臣団をまとめ、周りの武将を味方にしていく姿は、現在の会社という組織をまとめ、周りに自社のファンをつくることに通じるものがたくさんあると思います。その一つに相手の顔を見て話をすることの大切さがあると考えます。また私は褒める時は大勢の前で、指導する時は一対一でということも常に心掛けています。

そして「狸おやじ」。さまざまな経験を積むことで得た知恵を生かし、状況に応じて柔軟に事を進める。時には一歩引いて状況を見つめ、冷静に判断する。発する言葉には重みがあり将来を見通す力もあり、会う人たちを委縮させたものと思います。その一方で優しさも兼ね備えていたことでしょう。

私はそんな「狸おやじ」に憧れます。私の性格からすると、思い立ったらすぐに「自ら動く」ことが多いのですが、最近は一歩立ち止まって冷静に考えてみることも必要だと思っています。まだまだ修行が足りません。

一冊の本

創業者、祖父治作の出生地にある射水市立大島小学校で創立150周年式典が行われ、来賓の一人として参列してきました。今から120年ほど前の話ですが、少年時代の治作はこの小学校の校務員だった父の手伝いをすることがよくありました。そんなある日、治作は図書室で一冊の本と出会います。それは当時の日本ではまだ珍しかったコンクリート建築について書かれたもので、治作はこの本をきっかけにコンクリート建築に興味を持ち、夜の海を照らす灯台の建設技術者となりました。その後、樺太の地で当社の前身「寺﨑組」を創業、そして「寺崎工業」は今年創業100周年を迎えました。

一冊の本が人生を変えました。戦後、治作はそのご縁に感謝して大島小学校に本を毎月寄贈し続けました。そして二代目の父敏夫もその大切な思いを受け継ぎ、本を贈り続けました。治作は母「梅野きよ」の名義で本を寄贈していたため、小学校では「寺崎文庫」ではなく、今でも「梅野文庫」として扱われています。親孝行の心、故郷への感謝、寄贈の継続、どれをとってもなかなか真似できるものではありません。

昨年、一区切りを付けるための寄付をさせていただき、本と図書室の整備充実に充ててもらいました。そして今回、図書室と寄贈した本を見せてもらいました。本には「梅野文庫」のシールが貼られており、大切に管理されていました。いくつになっても図書室は魅力的なところです。私でも読みたい本がたくさんありました。子供たちもいろんな本に興味を持ってくれたら嬉しいです。図書室の入口には、この「梅野文庫」の由来について掲示してありました。一冊の本には人生を変える力があること、そして寺崎グループのことも書いてありました。三代目の私のインタビューと写真もその中にありました。無口で怖かった祖父の違う一面、優しい温かさを感じました。私は有り難さと責任の重さをひしひしと感じた次第です。

組織は時代と共に変わるべき

先日、母校の同期会が横須賀で開催されました。陸上自衛隊「少年工科学校」。現在は「高等工科学校」に名称変更していますが、別名「自衛隊生徒」。私の原点がここにあります。52年前の昭和46年に中学卒業後、17期生として入隊と入校、今は存在しない階級「3等陸士」としてスタートしました。当時は4年制で入校500名に対して卒業したのは400名余り、決して楽な学校ではありません。しかし、この4年間で経験したことは一生の宝です。今回は全国から、髪の毛が薄くなったり白くなったりした、ぽっこりお腹の約100名の同期が集まって呑み、語り、校歌を歌いました。翌日には学校見学もしてきました。

10年ほど前、幹部自衛官になった同期と呑んでいる時に「優秀な人材を輩出しているのに何で学校名を変えるのか。」と文句を言ったことがあります。それに対し同期はさらりと答えました。「組織は時代と共に変わるべき、国を守る組織だからこそ変化していかねばならない。」私はこの言葉を聞いて、酒の酔いが冷めていったことを覚えています。

高等工科学校はまた大きく変わろうとしています。現在1学年320名余りの生徒数を増員して、卒業後は陸上自衛隊のほか海上・航空自衛隊にも進むことになり、男女共学にもなります。はつらつとした高等工科学校の卒業生を欲しいのは陸・海・空とも同じだと思います。しかし同じ自衛官でも私は気質の違いを感じます。男女共学についても賛否両論ありますが、「国を守る」ためには陸上自衛隊だけのことを考えていてもダメなのかもしれません。「組織は時代と共に変わるべき」。卒業生が連携し、陸・海・空の部隊を支える自衛官として新しい「自衛隊生徒」制度を作ってもらいたいと思います。

会社も「日々新た」。昨日から今日、今日から明日へと変化していかねばなりません。同じ仕事の繰り返しでは進化はありません。「昔からこの方法でやっているから」というのではなく、変化を恐れずに進化し続けていきたいと考えます。

話は戻って、母校のことで心配なのは校歌の中の「我等は少年自衛隊」という歌詞、共学になったらどうなるのやら?