小中一貫校

先日、当社が工事を請け負った小中一体校舎の落成式が行われました。
この学校は、高岡市で初めての施設一体型の小中一貫校です。小学1年生から中学3年生までの9年間を同じ校舎で過ごします。なお、校長先生は2名体制となっています。

当日は、約750名の生徒が体育館に集まりました。中学生からピカピカの新一年生までが一堂に会する様子は壮観でしたが、その体格差には少し違和感も覚えました。

小学校の新校歌はポップス調で、曲名は「ともだちのうた」。
「人はひとりでは生きていけない。みんなで助け合ってこそ生きられる」という思いが歌詞に込められており、時代の変化を感じました。

中学校は私の母校でもあり、卒業以来初めて校歌を歌いました。歌詞を読むと自然にメロディーがよみがえり、不思議な感覚とともに生徒たちと一緒に歌うことができました。

このような9年間の一貫教育には、次のようなメリットがあるとされています。

  • 教育の連続性が高まり、計画的な指導がしやすい
  • 上級生・下級生の交流を通じて社会性が育ちやすい
  • 教職員同士の連携が強化される
  • 施設や設備を効率的に活用できる

一方で、人間関係が固定化しやすく、相性が合わない場合、環境を変えにくいとの指摘もあるようです。

私がひとつ気になったことは、「運動場が狭い」ということです。中学生と小学生の使用スペースは分けた方がよいのではないかと思いました。この点について、教育委員会の考えも気になるところです。

校内も見学しましたが、普通教室のほかに多様な大きさや用途の教室が設けられていることに気づきました。教育現場の工夫と苦労が感じられます。
また、共有の図書室には「ドラえもん」の漫画も置かれており、子どもたちの年齢や興味に応じた工夫がなされていました。ここで本への親しみが育まれることを期待したいと思います。

一方で、新聞によると、2030年頃には小学校からデジタル教科書の導入が始まる可能性があるとのことです。私は、「本」は「読む」もの、「画面」は「見る」ものだと感じています。古い考えかもしれませんが、紙の本による読み書きは教育にとって重要ではないかと考えています。

4月、ピカピカの小学一年生や、ダブダブ学生服の中学一年生の姿を見かけることになります。
子どもたちのこれからに、幸多からんことを祈ります。

アイヌ語

先日、グループ会社の得意先である大阪の商社の方を、富山の奥座敷・宇奈月温泉の旅館「延楽」で接待しました。
二月の宇奈月はまだ雪が残り、黒部峡谷のトロッコ電車も動いていません。静かな旅館の温泉で身体を温め、酒は高岡の「勝駒」。おいしい料理とともに、楽しい時間を過ごしました。

その宴会の席で、ふと樺太の話題になりました。創業者である祖父寺﨑治作が会社を興した地であり、父寺﨑敏夫が幼い頃を過ごした場所でもあります。
そこで、父が子どもの頃に覚えたという「アイヌ語」の話になりました。私も幼い頃に父から教わりました。「ヤンガラフテ」という言葉です。私は長い間、それが本当にアイヌ語なのか、またどんな意味なのかも知らないままでした。
同席していた方がすぐにインターネットで調べてくれました。さすが商社マンです。どうやらそれは、アイヌ語の「イランカラプテ」。日本語では「こんにちは」にあたる挨拶の言葉だそうです。
自分でもよく覚えていたものだと感心しました。同時に、父はどこでこの言葉を聞き、なぜ私に教えたのだろうかと、不思議にも思いました。

父は幼い頃を樺太で過ごし、高校は北海道の小樽でした。樺太の家があったのは、当時のソビエト連邦との国境に近い「泊居(トマリオル)」という町です。
そこには樺太工業(のちの王子製紙)の泊居工場があり、祖父はその工場建設に従事し、会社を興しました。当時の泊居には女学校もあり、色街もあり、栄えていた町だったと聞いています。
しかし父は小樽に渡った後、敗戦の混乱もあって、故郷の泊居に戻ることはありませんでした。

現在、工場は廃墟となり、町も大火によって当時の跡形もありません。その跡地には、ロシア人が新しい町を作っているそうです。
以前、父がまだ元気だった頃に、「泊居に行ってみたいと思いませんか?」と尋ねたことがあります。その時、父はこう言いました。「故郷は遠きにありて思うもの。」父は、故郷の記憶をそのまま胸に残しておきたかったのかもしれません。
父がどんな少年時代を過ごしていたのか。アイヌの人たちと接する機会があったのか。今となっては知る由もありません。

ロシアとの関係は、今のところ回復の兆しが見えません。
それでも機会があれば、
祖父 治作がどのような場所で会社を創業したのか、そして父 敏夫がそこでどのように成長したのか。
私はその土地を一度訪れてみたいと思っています。

迷惑メール

先日、個人メールの「迷惑メール」フォルダを開いてみたところ、想像以上に多くのフィッシングメールが届いていることに驚きました。
カード会社や通販会社を装い、手を変え品を変えながら、根気よく送りつけてきます。中には「最終警告」と不安をあおる件名のものもありました。

新聞では、高齢者がSNS型詐欺に巻き込まれ、多額の被害に遭っているという記事が連日のように掲載されています。
先日の報道によると、この手の詐欺による昨年の全国の被害総額は3,241億円で、前年比62.8%増と過去最悪を更新しました。
富山県の被害額も17億円余りで前年比約60%増。被害件数は40件増の167件に達し、いずれも過去最悪だったと報じられていました。

しかし、これらはあくまで表面に出た数字にすぎません。誰にも相談できず、泣き寝入りしている人も少なくないのではないでしょうか。
これは極めて卑劣な犯罪だと言ってよいでしょう。そして、その入り口の一つがフィッシングメールなのです。

私たちは本来、人を信じる「性善説」の中で生きています。
その一方で、インターネット社会では、ときに「性悪説」、つまり相手を疑う視点も必要になります。

例えば、私は名刺に個人のメールアドレスを記載していますが、これも見直す必要があるかもしれません。悪用を考える人がいる可能性を否定できないからです。
また、スマートフォンに登録していない番号からの電話には出ないようにしています。これも自己防衛の一つです。

インターネットの普及とともに、犯罪に巻き込まれる危険は確実に増えています。
こうした中で、「自分は絶対に引っかからない」と思っている人ほど危ないともいわれています。
実は、私もその中の一人です・・・

寺崎グループ

さて、明日2月2日に系列会社の78周年を迎えます。寺崎工業としては、創業103年にあたります。現在、その朝礼での挨拶を考えているところです。

創業100年を迎えられる企業の割合は、0.03%といわれています。1万社が創業しても、生き残れるのはわずか3社という厳しい数字です。
また、創業50周年を迎えられる企業でも、その割合は0.7%に過ぎません。1,000社のうち7社しか存続できない計算になります。
そのような中に当社が存在していることは、非常に有難いことだと改めて感じています。
これまで当社の歴史を築いてこられた先輩諸兄に、心から感謝したいと思います。

また、当社は早い段階から多角化に取り組み、グループを形成してきました。総合建設業をはじめ、製紙、運輸、介護、太陽光発電、さらには二か所の保育園運営など、事業は多岐にわたっています。いずれの事業も、地域に根差した活動を大切にしてきました。
一方で、時代の変化に応じた撤退や再編も行ってきました。電子部品事業からの撤退、高岡での製紙業の廃業、運送業の統合などは、常に最適な形を模索してきた結果です。

「企業の三十年説」という言葉があります。これは、変化をしなければ企業は30年で衰退するという考え方です。私はこの言葉を大切にしています。だからこそ、今日から明日へと、少しずつでも変化を続ける企業でありたいと考えています。

除雪

1月下旬、北陸富山は一気に降るいわゆる「ドカ雪」ではなく、毎日のように雪が降り続いていました。私はMyショベルカーを使い、毎朝除雪作業を行いました。今年は今のところ、例年より多く、6回余り出動しています。除雪を行う場所は、保育園が2か所と当社の駐車場です。早い日は、朝4時前に起きて作業を始めることもあります。

除雪は、雪が降ってから始めるものではありません。雪のない時期から、あらかじめ準備を進めています。障害物の位置を事前に把握し、出入口にはポールを立てて境界を明確にします。それでも、ショベルカーで「ガツン」とやってしまうことがあります。

先日も近所をボランティアで除雪し、雪捨て場に運んでいたことがありました。その後、近所の方が我が家まで来て、「道路に雪がはみ出ている」と苦情を言われたのです。正直なところ、少し腹が立ちました。「それなら、もうこれからは…」と考えてしまう瞬間もあります。

雪国では、多くの建設会社が道路除雪を担っています。道路の除雪では、どうしても道路の両側に雪の壁ができます。それに対して、「家の玄関前に雪の壁を作った」「雪を捨てていった」といったクレームが、市や建設会社に寄せられることも多々あるそうです。ひどい話では、除雪作業中にスコップを投げつけられたと聞いたこともあります。
そうした現実を知るにつけ、改めて、厳しい環境の中で除雪にあたる運転手の方々に、心から敬意を表したいと思います。

新年のことば

明けましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

昨年は、トランプ政権の誕生により、国際政治が先行き不透明な状況の中で新たな局面を迎えました。国際社会では、「法」による秩序よりも、「力」による支配を重視する動きが、米・露・中で強まっています。
こうした中、今年に入ってからアメリカは中南米を自国の「裏庭」と位置づけ、麻薬密輸対策を名目にベネズエラへ出兵し、大統領を連れ去るという強硬な行動に出ました。

一方、国内に目を向けると、昨年秋には石破政権に代わり、少数与党ながら初の女性首相となった高市政権が誕生しました。現在は高い支持率を背景に、2月解散説も取り沙汰されています。
経済面では、株高・円安が進む中で金利が上昇しています。その結果、大企業と中小企業、輸出志向型企業と国内志向型企業との間で、格差が拡大しています。
今年が始まってまだ半月ではありますが、「変化の新年」と呼ぶにふさわしいスタートだと感じています。

地方の建設業である当社も、こうした国内外の変化の影響を避けることはできません。身近な課題としては、技術者不足、建設資材価格の高騰、人件費の上昇などへの対応が求められています。

今年の干支は、60年に一度巡ってくる「丙午(ひのえうま)」です。丙午は火の性質を二重に持つとされ、人や社会に活力や情熱をもたらす年ともいわれています。私は、この令和8年が「新しい芽が生まれ、育ち始める年」になるのではないかと考えています。

当社においても、すでにいくつかの「新しい芽」が見え始めています。土木部には6名のメンバーが加わり、安定した施工体制が整いました。昨年末には、県の高岡農林管内における優良工事表彰で「最優秀賞」という栄誉ある評価をいただきました。
また建築部門では、内定を含めて3件の大型物件の受注が見込まれています。今年は例年以上に、高岡と富山、建築と土木の垣根を越えた情報共有と助け合いを進めていきたいと考えています。
働き方改革についても、休日の確保や残業時間の削減に加え、若手社員との交流促進などを通じて、より働きやすい環境づくりに取り組んでいきます。

私は、「会社が利益を上げ、それを社員に還元でき、無事故で、社員とその家族が元気に過ごせる年」こそが、良い年だと考えています。社員一人ひとりとともに、そのような一年を創り上げていきたいと思います。

コンサート

年末が近づいた今日、27日土曜日。近くの高校の吹奏楽部のコンサートに行ってきました。2時間余りにわたって、じっくりと「生の音楽」を聴く時間を過ごしました。私は最近、生の演奏を聴くことをちょっとした楽しみにしています。

今回は33名の吹奏楽部員が出演していました。どの部員からも、日々の練習の成果を発揮しようという気持ちが伝わってきます。最初の曲では、少し肩に力が入っているように感じましたが、曲を重ねるごとに緊張が和らいでいきます。次第に音は伸びやかになり、それぞれの実力が自然と表れてきました。同じパート同士の音の掛け合いが美しいハーモニーとなって会場に広がります。一番後ろの席に座っていた私にも、心地よい音楽としてしっかり届いてきました。

三年生にとっては、これが高校生活最後のステージです。ソロ演奏の場面もあり、それぞれの思いが音に込められているのを感じました。特に印象に残ったのは、演奏後の部長の挨拶です。三年間の思い出を振り返りながら、「悔いのない三年間でした」と語る姿に、思わず胸が熱くなりました。その言葉に応えるように、会場からは温かい拍手が。青春の真っただ中にいる彼らへ、私も惜しみない拍手を送りました。

コンサートは、演奏者の技量だけで完成するものではありません。客席からの拍手や会場全体の雰囲気が、演奏をさらに引き立ててくれます。出演者と観客が一体となってつくり上げる空間。そのコンサートならではの醍醐味を、最近あらためて実感しています。

音楽って、本当に素晴らしいですね!年末に、心が少し豊かになる時間を過ごすことができました。

近況

先日、あるお客様の社屋を無事に引き渡しました。旧事務所からの引っ越しも完了し、新しい事務所では竣工式が行われました。式典の場で、社員の皆さんの前で感謝状をいただき、大変光栄に感じました。社長は挨拶で「この事務所から誠の心を持って新しい風を起こす」と述べられました。さらに、「寺﨑さん、ありがとう。来社された方には“施工は寺﨑さん”と言います」とお言葉をいただき、施工者として身に余る思いでした。私からは、「完成して引き渡したら終わりではありません。『出入りの大工』として、この建物がある限り、責任を持ってメンテナンスを続けます。これからも末永いお付き合いをお願いします」と挨拶し、良い仕事を任せていただいたことへの感謝を改めてお伝えしました。

さて、年末が近づくと、訃報のはがきが届くことが増えます。11月中旬には、横須賀の少年工科学校時代の指導教官が亡くなられたとの知らせを、長女の方からいただきました。思い出を振り返りながら、香典をお送りしました。その教官からは、特に二つの大切な教えをいただきました。

(1)「何とかなると楽観し、何とかしようと努力する」

物事を深刻に考え過ぎず、どんな状況にもチャンスがあると信じること。悲観せずに心の余裕を持ち、努力を続ける姿勢を教わりました。

(2)「金魚池のようになれ」

金魚池は中央が深く、周囲が浅い構造をしています。これは「専門分野は深く掘り下げつつ、幅広い知識も身につけなさい」という比喩でした。

私はこの二つの教えを今でも大切にしています。多くの出会いに支えられ、幾度もチャンスをいただき、今日まで成長してこられました。これからは、私が次の世代を育て、同じようにチャンスを渡す番だと感じています。

今月末には、当社の第82期株主総会を開催します。部長以上の役職者が出席し、期中の実績報告を行う予定です。今期は前期より売上を大きく伸ばし、利益も確保しました。その結果、期末賞与を支給できたほか、二泊三日の社員旅行も実施できました。社員には多くの負担があったと思いますが、努力がしっかりと成果につながった期だったと感じています。さらに、今期はM&Aによって土木部門を強化し、新たに5名の仲間が加わりました。この強化が大型案件の受注にもつながっています。建築部門でも複数の大型プロジェクトに参画しています。ただし、工期が長いこともあり、来期(第83期)の売上高についてはやや不安も残っています。

当社は来年、令和8年に創業103年を迎えます。役職員50名余りの地方ゼネコンとして、これからも全員で「GOODな会社づくり」を目指してまいります。

富山マラソン2025

3連休の中日11月2日、今年で10回目を迎えた富山マラソンが開催されました。午前中は小雨、昼過ぎからは本格的な雨というあいにくの天候でしたが、過去最多となる約1万5千人のランナーが参加しました。高岡市役所前を出発し、射水市の新湊大橋を渡り、富山市の富岩運河環水公園を目指して、老若男女が42.195キロに挑みました。

寺崎工業からも5名の社員が参加しました。この日のために、社員がデザインした会社名入りのオリジナルTシャツを制作しました。これを着て社員が走るとなれば、応援しないわけにはいきません。私はコース近くで大きな声援を送りました。

コース上には、風船を頭につけたペースランナーの姿もあり、「3時間半」や「4時間」など、各自の目標タイムに向けてペースを保てるように工夫されていました。ランナーたちの足音が絶え間なく響き、色とりどりのウェアや仮装コスチュームが目を引きました。沿道にいる誰もが応援したくなる雰囲気です。私も拍手をし続け、「頑張れ!」という声も自然に出てきました。中には苦しい表情ながらも「ありがとう!」と笑顔で返してくれる方もおり、こちらのほうが励まされました。一方で、後方には疲労が見える人や足を引きずりながら走る方もおられ、「頑張れ!」と声をかけてよいのか迷う場面もありました。

寺崎工業の社員を探しましたが、私が確認できたのは残念ながら2名のみ。声をかけると彼らは余裕のある走りで笑顔を見せてくれました。「健闘を祈る!」という気持ちで手を振り、最後まで見送りました。

マラソンは、私にとって「持久走」という言葉がぴったりの競技です。自分との戦いであると同時に、見る人にも感動を与える不思議な力があります。

寺崎工業の5名は全員、無事に完走できたようです。本当にご苦労様でした。

今週末に、来年に向けての強化合宿、夜の部があります(笑)。頑張った社員をねぎらいながら、「美酒」を楽しみたいと思います。

地震と酷暑が教えてくれたこと

暑さの厳しかった令和7年の夏もようやく終わり、秋の気配が感じられるようになりました。10月6日、今年初めて柿を収穫しました。仏壇にお供えし、近所の方々にもお裾分けしました。今年は収穫量が少なく、「裏作(うらさく)」の年かもしれません。

能登半島地震から1年10か月が経ちました。被害の大きかった高岡市伏木地区では、建物の解体が進み、街の中に空き地が目立つようになっています。ただし、それらの空き地の多くは土ではなく「砂地」であり、土地利用にも課題が残ります。港町である伏木において、今後人々が再び海岸線近くの地域に戻るかどうかは、大きな問題です。

避難場所にも課題があります。伏木地区の指定避難所は、海岸線近くにある「伏木共同防災センター」です。しかし、地震時にそこへ車で避難するのは、津波の危険を考えると現実的ではありません。実際、今回の地震では多くの住民が山手にある総合病院の駐車場へ避難しました。

旧市街地では、住宅が壁を接するように密集して建てられています。そのため、一軒を解体すると、隣家の壁がむき出しになるケースが多く見られます。本来であれば、それぞれの家が自分の壁を修理するのが原則ですが、解体した側が両隣の壁を修理した事例もあったようです。こうしたケースは法律で明確に解決できないこともあり、今後の課題といえるでしょう。

また、富山市内ではガラス張りでデザイン性の高いビルが地震で被害を受けました。ようやく改修工事が始まりましたが、多額の予算と長い期間を要しています。「災害の少ない県・富山」という神話が崩れた今、このような建物のあり方には再考の余地があります。また、このビルは夏冬の空調費も相当かかっていたと考えられ、ランニングコストの面からも見直しが必要です。

これからは以下のような観点を重視すべきと考えます。

  • 災害に強い構造
  • エネルギー効率の良さ
  • 維持費の少なさ
  • 環境への配慮

鎌倉時代の随筆『徒然草』には「家のつくりやうは、夏を旨とすべし」と書かれています。これは、「冬の寒さ」よりも「夏の暑さ」に備えて家を建てるべきだ、という意味です。現代においても、この考え方は十分に通用します。

  • 風通しの良い構造
  • 湿度対策
  • 直射日光を避ける設計
  • 効率よくエアコンが効く空間

これからの住宅や公共施設には、見た目のデザイン性以上に「機能性」が求められる時代が来ていると感じます。

能登半島地震と令和7年の酷暑。この2つの「災害」は、私たちの暮らしや建物への考え方を大きく変えるきっかけとなりました。 災害に強く、持続可能で快適な暮らしを支える建物や都市設計のあり方を、今こそ真剣に見直す時ではないでしょうか。